7日目「パイネの山にコンドルが舞う」

パイネ12月27日(金) 晴れときどき曇り 14℃
 7日目、朝散歩していたら酔っ払いの兄ちゃんに話しかけられる、「ソイ、ハポネス。Soy Japones.」(俺は日本人です)、(女性の場合は「ソイ、ハポネサ。Soy Japonesa.」(私は日本人です)となる)とかスペイン語で喋っていたら、名刺をくれたので、お返しに「富士山」の絵葉書を上げた。
 朝8時、バスでパイネ国立公園に出発。羊しかいない草原のガタガタ道を2時間走り続けると、左前方にバスの乗客全員が「おー」と声をあげるパイネの山々(幾つも山がある)が見えてきた。ビューポイントで記念撮影。さらに上空には2羽の「コンドル」が旋回しているのが見えた。その後1時間走って湖のほとりから、滝までハイキング。パイネの山々が覆い被さるようにそそり立つ。パイネの山々は、カレンダー「世界の名峰」とかを見るとかならず載っている有名な山です。氷河を首巻きにしたような山あり、石の柱のように切り立った峰ありと多彩である。
 強風の中寒かったので、我が夫婦は一番にバスに戻る。お昼は、山々が見える湖のロッジで食べる。午後はさらに1時間走った、グレイ氷河へ。氷河の氷はなぜか青い。ほんとうに青い、だれかがスプレーで色をつけたように青い。氷河の一部である時には透明なのに、それが崩れて1つの塊になると中の方が青く見えるのである。寒い中、氷のオンザロックを飲む。後で氷だけバリバリと食べる。重くて透明のガラスのようで旨かった。帰りもバスで3時間。
 夕食をパスして、二人だけでホテルの部屋の窓から見えているレストラン「Zierra del Fuego」に行く。ビール、スープ2皿とスパゲティ、ハンバーガー(羊肉だった)を食べる。店の壁に「オソルノ山(チリ富士)」の写真が張ってあったので、妻が店主のおじさんに富士山の絵葉書を上げて「これはー、日本の、有名な、モンテ・フジヤマ、でーす」とスペイン語で言ったら、「これはおんなじだ」とおじさんはびっくりしていた。


8日目「中休み、街を散歩した」

パイネ12月28日(日) 晴れときどき曇り 12℃
 8日目、みんなはパイネに再び向かったが、我が夫婦はホテルで休憩。私が風邪を引いたのと、二人ともちょっと疲れていたからだ。ゆっくり起きて、ゴロゴロして、午後街を散歩する。あいにく日曜日でお店は開いてなかったが、スペイン語の辞書を片手に、看板などを調べながら、「フムフム」と街をウロウロする。街の中心には、公園と教会がある。子供たちが公園で遊んでいた。
 ホテルの窓から見えていた、犬の親子にパンをやったが食べなかった。見ると、親子で骨をバリバリとかじっていた。さすがパタゴニアの犬だ。
 


9日目「パンパの中を移動」

 12月29日(月) 晴れ 14℃
 朝9時半、バスで出発。舗装されていない道をガタガタ30分走り、低い峠のところにチリ側のイミグレ(出入国事務所)があった。順番に並んで係官にパスポートを見せ、出国のスタンプを押してもらう。先頭の我が夫婦は無事終わり、バスで待っていたが、後の人が戻ってこない。10分経ち、20分経ち、皆ブーブー言いながら戻って来る。理由を聞くと、アンデス越えのチリの入国スタンプが押し忘れ(当然向こうが悪い)の為、係官があっちに電話こっちに電話で大変だったらしい。いいかげんな仕事である。
 チリからアルゼンチンに国が変わるのでバスも変わる。中立地帯の3kmを走った後、アルゼンチン側のイミグレでバスに乗り換える。「捕虜交換みたいだね」と誰かがいう。
 アルゼンチンに入っても舗装されていない道が続く。でも、大地は乾燥し土色が目立つ。太平洋からの湿った空気は、アンデス山脈にぶつかりチリ側に雨を降らせる、山脈を越えた空気は、乾燥していてアルゼンチン側の大平原には雨はほとんど降らない。この広大な平原が、中学校の地理で習った、乾燥パンパ(ステップ)である。
 大平原の中にポツンと立つドライブインでお昼を食べ、バスは走り続ける。羊を見かけるのも稀だ、1km走って2、3頭ぐらい。途中から舗装路になる、アルゼンチンもチリも、町と町をつなぐ幹線道路は舗装されている。去年行ったアメリカ西部はスゴかった。一日に車の10台ぐらいしかの通らないような道でも、きれいに舗装され、センターラインが引かれ、道路標識もちゃんと立っている。アメリカの豊かさを感じた。それをいえば、日本の田舎の道もきれいに整備されていてスゴイ。
 午後4時40分。カラファテを見下ろす展望台に到着。はるか彼方に「フィッツロイ山Cerro Fitz Roy」標高3441mが見える。憧れの尖がった岩山が見えて感激、カッコいい。(個人的にパイネよりこっちのほうが好き)
 午後6時。カラファテの「ホテル・キホーテ」着。木をいっぱい使った赤い屋根のホテル。今回の旅行はホテルが全部良くて大変良かった。一日の長い移動の後たどり着いたホテルがボロイと、より疲れが増す。やっぱり居心地の良いホテルが良い(と言うのは或る程度、歳をとってからだよ)。部屋も広くて天井が高いし、窓からは犬が4匹見えるし言うことなし。別館のレストランで、毎度2時間かけて夕食を食べて寝る。


10日目前半「どこの国の人も、オー、タイタニック」

12月30日(火) 晴れ 15℃
 カラファテは、氷河国立公園の玄関口。人口は3000人の小さな町だが、観光産業のおかげで若い人がどんどん増えているそうだ。ガイドのセニョーラ・ガビーさんもブエノスアイレスから移ってきたそうだ。金髪のドイツ系のこの女性はすごく背が高い180cm近くはある。
 朝7時半、バスで出発。1時間で船着き場に着き、遊覧船に乗る。150人乗りの遊覧船は満席、船内は色々な国の人達がいてオモシロイ。ヨーロッパの方からも観光客が一杯来ている、が年配の方々が大半である。船内の説明は、「スペイン語」「英語」「日本語」「ポルトガル語」「フランス語」「ドイツ語」「イタリア語」で行われる。7カ国語を操れるすごいガイドが要るわけでなく、各国のツアーのガイドが交代でマイクを握っているのである。我々のツアコン・青木さんはなかなか良い声である。
 アルヘンティーノ湖という、琵琶湖よりでっかい湖を、2時間ドンドン進む。3、4mの高さの流氷がプカプカ浮いている。流氷の水面から上に出ている部分は全体の1/6。残り5/6は水中にあるわけだ。スペガッティニ氷河に接近、高さは50mぐらい。見上げる氷河の上には尖ったスペガッティニ山。まじかに見えるが、標高2500mもある、距離感がおかしくなる。途中オネリベイで上陸、1時間の散歩、波打ち際の石は一様に、平たくつるつるに削られていた。氷河に削られたのであろう。船の隣の席の老夫婦に「何処から来たのですか?」とスペイン語で話し掛ける。スペイン語の辞書と地球の歩き方を使いながら、「俺達はここから来た」とか「こっちに行く」とか、通じないスペイン語で話し合った、楽しかった。当然富士山の写真も上げた。
 太陽が出て船が止まっていると、半袖で十分。でも、太陽が隠れて氷河降ろしの風が服と、その上にセーターとゴアテックスの上着がいる。
 こっちに来てからは、英語が堪能になったような気がする。何でかというと、あいさつ+単語しか喋れないスペイン語と比べると、英語だとすごーく相手に意志が通わる(相手が英語を喋れないと駄目だけど、実際、仕事上必要な人しか英語は喋れない)のだ。
 途中で船が、流氷に支えてしまった、船首で船員さんが棒で、流氷を突ついている。「タイタニックだよ」と日本人が言う。あちらこちらいろんな言語で喋っている人達の「タイタニック」と言う単語だけが聞き取れる。国は違い言葉は違っても同じ事を思い浮かべているのに笑ってしまった。(10日目後半に続く)


10日目後半「3本足の牧羊犬・マックス」

 午後5時に遊覧船は船着き場に戻った。ホテルに帰る途中の「エルカンコン牧場」による。観光牧場である。ここで幸運にも本物の羊の毛刈りに出くあす。観光ショウでなくて、本物。1年の内この牧場に毛刈り隊(ガウチョが15人ぐらい)がやってくるは5日だけ。ガイドのガビーさんも珍しいらしく真剣に見ている。バリカンを持った毛刈り野郎(専門職なんだろう)が6人一列に並ぶ。柵の中から羊を「次おまえね」と持ち上げる。「イヤダヨ」と最初は暴れる羊も、毛刈り野郎の関節技に身動き取れず脇腹からバリカンを入れられ、1分40秒(時計で測った)で、丸裸の羊と、一枚の敷物の様な羊毛に分けられる。丸裸の羊もなかなかいい気持ちらしく「あー、散髪してすっきりした」という顔をしている(冬になると寒いとも知らずに)。刈られた羊毛は、下っ端にいちゃん達が、畳んで、重ねて、圧縮して、50頭分200kgの四角い塊にして出荷される。
 その後、外でバードウオッチング。「トキ」がつがいでウエウエと鳴きながら頭上を何度も横切る。日本では絶滅寸前だようだか、ここにはいっぱいいる。

牧羊犬マックス その後、牧羊犬のショウ。2頭の牧羊犬が飼い主の指示通り羊をかためながら移動させる。牧羊犬はケール犬という50cmの白と黒の犬。ガイドさんが「かた一方の犬は後ろ足が一本無い」と教えてくれる。「えー」と良く見ると、全速力で走っている時は、足の回転が速すぎて気がつかないのだが、止まると確かに足が一本ない。「名前はマックス」とガイドさん。三本足ですごいなとみんなは感心する。
 その後、牧場内のレストランでラムの開き焼きを夕食に食べる。早めに食べおわって外に出てみると、三本足のマックスがいた。呼ぶと尻尾を振ってやって来る。お座りも、伏せも、待ても、来いも、鳴け(羊を威嚇するワンワンという鳴き声)も出来る。同行の水野さんの御主人(私の父親に似ている)が、口の中に肉を隠して運んできて、見つからないようにマックスにやっている。「おまえは、三本足なのにエライ」と誉めながら。マックスは仲間の犬との喧嘩で片足を無くしたそうだ。牧羊犬はペットでなく、仕事犬のため、仕事が出来なくなると殺されてしまう。その厳しい環境の中で愚痴一つ言わず(まあ犬だから言わないが)元気良く生きているマックスを見ていると、目頭がジーンとしてきた。「がんばれマックス!!」もう一匹の牧羊犬が羊の頭をくわえて歩いてきた。晩飯らしい、バリバリの頭蓋骨をかじっている。パタゴニアの犬はワイルドだ。


11日目「崩れ落ちる氷塊の轟音はすごい」

モレノ氷河12月31日(水) 晴れ 15℃
 今日は、今回の旅行の最大の目玉「ペリト・モレノ氷河」を見に行く。モレノ氷河は世界で一番速く流れている氷河で、秒速2m(ウソ)、日速2mで流れている。「一日2mぐらいでなにがすごいんだ」と思った方は氷河の見方が分かっていない。(偉そうなやつ)氷河は、巨大で、割れていてクレバスいっぱいで、青く神秘的に輝いている。が、こうゆう静的な部分だけでなく、氷河のみどころは動的な部分、すなわち先端の崩れ落ちる氷塊なのである。「メシメシメシ」「ドカーーン」と崩れ落ちる氷塊の、スローモーションな動きと、雷のようなモノスゴイ音、その後水面に起きる大津波。速く流れるということは、それだけそういうシーンに出会う確率が高くなるのである。
 朝9時、バスで出発。モレノ氷河まで3時間。氷河の先端と向かい合う展望台から見る氷河はデカイ。先端は、高さ60m自分から見て左側2km右側3km、20km奥までは見える。視界180度のどっから氷塊は崩れ落ちるか分からない、また「ドカーーン」と音がしてから見ても、もう遅くて水面の水飛沫しか見えないのである。色々な作戦が考えられる、何人かで捜索エリアを分担する作戦、がこれは旨く行かないのである、崩れ落ちる瞬間に出会うと、口は開いた所で止まってしまい声が出ないので他人に教えられない。その2は、湖面に崩れ落ちた氷塊の位置から
最近崩れていない辺りにヤマを張る。これはヤマが当たると、大穴馬券を取ったときのように気持ちいいのだが、これもなかなか思った風にはならない。「あっちだ、こっちだ、こんどのはデカイ、なかなか崩れない」とか言っている内にあっというまの2時間。後ろ髪を惹かれる思いで昼食を食べに行く。「昼飯よりも、氷河をずっと見ていたい」「なんでランチボックスにしないの」という不満の声のなか、昼食。午後は、船で氷河に接近。湖面から見上げる氷河の先端は、高くそして青い。突然、巨大な氷塊(高さ20mぐらい)が轟音とともに崩れ落ちる。今日一番デカイ。デッカイウネリがやってきて、船が上下に大きく揺れる。おー大迫力。「最後にでっかいのをもう一回サービスしてくれ」という人間のわがままを「そんな事知ったことか」と黙って見下ろす巨大な氷の壁は、だんだん遠くなり、岬の向こうへと消えていったのだった。
 アラスカのオーロラも一瞬たりとも目が離せず、ずーと空を見上げているうちに明け方と、いうものであった。氷河もそれに通じるものがある。まる一日、ずーと見ていても絶対飽きないだろう。いやあ、満足させてもらいました。
 ホテルに帰ってから、日本に電話を試みる。今は12月31日午後8時、日本は元日朝8時。こっちは夏、日本は冬。「あけましておめでとう」コールが通じれば、地球はやっぱり丸いが実感出来る瞬間である。でも、何度やっても話中、添乗員の青木さんに来てもらったが「やっぱり駄目ですね」と一言。考えてみれば、地球の裏側のこんなクソ田舎から、「9−0081」を回すだけで日本に直接通じるとは、信じられずにいた明日のブエノスアイレスまで待とうと諦める。
 今日は大晦日なので、夕食は夜9時半からパーティ形式で、12時にはカウントダウンとニューイヤーパーティがあるそうだ。そうゆうことの嫌いな私は、さっさと食べて部屋に帰る。12時、外で火事のようなサイレンが鳴り出すと、その後花火と爆竹が「ピュー、ドン、パンパン」と派手に鳴り出す。子供も含めた住人達が皆、家の外に出てきて「ハッピーニューイヤー」とスペイン語で近所の人達と挨拶を交わす。「ピュー、ドン、パンパン」と音は続く、私はベットでその音を聞きながら眠りについた。


12日目「残念、ウシュアイア」

1月1日(木) 晴れ 13℃
 朝6時40分、アルゼンチンで初日の出を見る。2拍子の後、「今年も夫婦円満、家内安全でありますように」と願う。
朝8時、バスで出発。今日はブエノスアイレスまでの移動で一日が終わる予定である。空港のある「リオガジェゴス」まで舗装された道を走る。周りは延々と乾燥パンパが続く。途中「チェリアイケ・エスタンシア」にてお昼を食べる。大草原の中に、ぽつんと緑の木々に囲まれた邸宅が立っている。隣の家までは10kmぐらいはあるだろう。ここでは、牧場の子供達と彼らに抱かれた小犬6匹がお出迎え。後、親犬8匹と馬2頭とニャンドウ4匹もお出迎え。メインディシュはまたまた羊の丸焼き。牧場の子供達は、家から学校に通えないので、学校の寮に入らなくてはいけないそうだ。今は夏休みなので家に帰って来ている。手を振る御主人夫妻に見送られて出発する。
 午後2時半、空港着。予定では、「ウシュアイア」乗り継ぎで、ブエノスアイレスに飛ぶ予定。憧れのウシュアイア、だって世界でもっとも南にある街なのです。このために、パノラマのフィルムも残してある。ところが、添乗員・青木さんはチェックインカウンターで苦戦中、悪い予感が。「ウシュアイア行きの飛行機が2時間遅れていますので、ブエノスアイレス直行便に変更しました」あーあ、残念、でもしょうがないか。
 今回の旅行の「旅のしおり」で一番笑ったのは、注意事項の「ラテン系民族特有の時間的ルーズにより、出発などが送れることがよくあります。予めお含みおき下さい」。でも、飛行機が唯一遅れたのはここだけ。朝、ガイドさんとかドライバーさんが遅れたことは一度もなかった。みんな、なかなか優秀だったよ、うんうん。午後4時10分、自由席の飛行機は無事出発した。自由席は2回目なのでビックリはしなかった。昨年アメリカのロスアンジェルスからラスベガス行きで初めて、自由席の飛行機に乗った。狭い飛行機の通路を座席を求めて、後ろに行ったり前に行ったりウロウロする姿は、なかなか面白かった。でも考えてみれば、座席が無いことはないよね(たぶん、でもアメリカの国内線だともしかするかも)。
 3時間の飛行でブエノスアイレス、前回と同じ「マリオット・プラザ」にチェックイン。日本に電話する、「9−0081-‥‥」。4回の呼びだし音の後、「ガチャ、はい」と母親の声。大きく明瞭ですぐそばから電話しているように聞こえる。「あけましておめでとう、地球の裏側からです」と新年の挨拶、会話のタイムラグも全然感じない。なんかすごい、技術の進歩だな。ホテルから架けると高いと聞いていたので、早々に切る。支払い金額は、13ドル72セントであった。


13日目「やっぱり外国に来たら動物園に行こう」

1月2日(金) 晴れ 22℃
 今日は夕方までフリーである。ゆっくり帰る準備をして、11時に出発。「やっぱり外国に来たらZOOだよね」と、タクシーで動物園に向かう。ブエノスアイレスのタクシーは、いっぱい走っている上に安くて便利。初乗りが1ペソ20センターボ=1ドル20セント、150円ぐらい。アルゼンチンは1ドル=1ペソの固定相場制である。ドルでもペソでもどっちも使える。お釣にドルとペソが混ざって来たりもする、面白い国である。
 動物園まで結構遠かったのに、7ペソ56センターボと安い。8ドル出して「釣りはいらないよ」と言う。チップはお釣の小銭のみでOKである。今日は太陽が顔を出していて暑い。気温は20度ちょっとだと思うが、日差しが眩しい。金曜日なので空いている。ブエノスアイレスのお正月は、元日のみお店が休み(マクドナルドも閉まっていた)だが、2日からはもう営業している。
 動物園には、ホワイトタイガーが3頭いた(当然、他の動物もいます)。おとうさんとお兄ちゃんと弟らしい。お兄ちゃんがおとうさんの隙をついて、後ろから襲いかかる。おとうさんは「なにするんじゃ、われ」(河内弁)という感じで反撃。唸り声を上げながら、両者立ち上がっての激しい戦い。そこに弟も参加して‥‥。なかなかの迫力プラスかわいい。それから、リャマと並んで記念撮影。でも、リャマは写真を取るとぬいぐるみに見える。その後、「リャマのえさ」1ペソを買って、リャマとアルパカに餌をやる。もごもごした口がかわいい。
 歩いて「日本庭園」に行く。赤い渡月橋もあるし池にはいっぱい鯉がいる。園内の食堂で「牛丼」を食べた。日本のモノとはちょっと違うが美味しかった。タクシー、地下鉄を乗り継いで、「LINEA A」という木造車両の地下鉄に乗りに行く。たしかに、全部木造、ドアの一部が破れていて外の景色が見える。ガタガタとすごく揺れて、地下鉄というより、浅草・花やしきのジェットコースターの様である。楽しい。
 ブエノスアイレスでもマクドナルドに入る。ハンバーガー89センターボ、日本と同じぐらい。店内の作りもいっしょ。でも、ハンバーガーのパンとハンバーグがちょっとパサパサしている。夕方6時ホテルに集合、夕飯は中華料理。でもいまいち。そのままバスで空港へ。夕日が周りの景色を赤く染めた。夜10時30分発、アルゼンチン航空AR1300は、ニューヨークへ、飛行時間は11時間10分。機体がエアバス320だった、国内線でしか乗らないので、そんなに航続距離があるとは知らなかった。座席配置が2、4、2なので、窓側2席に座るとたいへんラクチンなのである。


14日目「ジョンFケネディ空港にはラーメン屋がないぞ」

1月3日(土) 晴れ 22℃
 朝7時半にニューヨーク到着。飛行機がゲートに移動する途中で、日の出が見えた。東京の普段の生活では、ほとんど見ない日の出だが、旅に来るとなんと何度も見ることか、自然のリズムで生活しているような気がちょっとする。入国審査の後、ロビーで次の出発まで待つ。長いフライトでも、乗り継ぎの時にホテルで一休みが入れば楽なのだが、ロビーで待つのは結構疲れが溜まる。JALのターミナルなので、「ラーメン」を食べようと日本食レストランを捜したがない。なんでだ、西海岸の空港ならあるのに、ロサンジェルスもラスベガスもサンフランシコもシアトルも。東海岸にはラーメン屋はないのか。しょうがないので、ホットドックを食べる。アメリカのホットドックは旨い。
 昼0時10分、日本航空JL005で日本に出発。飛行時間は14時間。日本の航空会社はいい、乗った瞬間にもう日本である。


15日目「羽田空港からのタクシー4700円」

1月4日(日) 曇り 10℃
 午後4時、成田空港にランディング。みんなでお別れの挨拶を交わした後、解散。きっしい夫婦は、リムジンバスで羽田空港、タクシーで自宅に到着。夜7時だった。でも、リムジンバスが二人で6000円、タクシーが4700円、合計10700円とは、日本に帰ってからもなかなかお金がかかるものだ。「寿司!寿司!」と近所に夕食に出かけたが、全部閉まっていた。焼き肉屋で焼き肉を食べた。
 今回の旅行で使ったお金は、320ドル。一番印象に残ったのは、「ワイルドで愛想の良い犬達」です。
(おわり)